人民、悪(あく)自由ならんと申しておろうがな。
何しても許(ゆる)されると申す教えは邪教(じゃきょう)ぞ。
誤った教えを説き、人を悪へ導く宗教。
人民、甘い(あまい)言葉に弱くて欲深(よくぶか)じゃから、苦しみ耐(た)えられんと申すなれど、
悪魔(あくま)の囁き(ささやき)は魅力的(みりょくてき)じゃが、
皆々(みなみな)ますます苦しくなるだけぞ。
今さえ良けりゃ良いと、刹那(せつな)に生きる道ではならんな。
きわめて短い時間。瞬間。(後先を長い目で考えないこと)
何選んでも因果(いんが)であるのじゃぞ。
人民、日々(ひび)何選ぶか大事なのじゃ。
食い過ぎ(すぎ)れば腹(はら)も痛くなる道理じゃな。
節(せっ)するから喜び続くのぞ。
幸(さち)みな分け合えるのぞ。
皆々見てみよ。
己(おのれ)の自由じゃと申して御身体(みからだ)傷つけ(きずつけ)、魔物(まもの)のまねいたしておるぞ。
人の身体(からだ)苦しめ続けておるぞ。
金儲け(かねもうけ)いたすが幸せと申し、人騙して(だまして)奪って(うばって)洗脳(せんのう)いたしておるぞ。
金(かね)出せばみな苦しもうが死のうがしらん、何いたしても己の自由ぞと申して、
山川海の神々様の御身体(みからだ)汚し(よごし)壊し(こわし)、食べ物飲み物何もかも奪っておるのぞ。
人民の物にいたしておるのじゃ。
生き物住処(すみか)奪われて、皆々嘆き(なげき)苦しんでおりますぞ。
人は悪魔じゃと申し恐れて(おそれて)おりますぞ。
子供(こども)らには生きるために必要なのじゃと、善(ぜん)の仮面(かめん)被り(かぶり)て悪魔の教え植え付け続けておるぞ。
偽善者。相手のためではなく自分が良い人に見られたくて善い行いをすることで、うわべだけいかにも善人らしく見せる人。
実際は己の利益しか考えていない。
他愛意識と逆の自己防衛、承認欲求、自己顕示欲、寂しさからなる人が多い。
人は何殺しても良いのじゃ、何食っても良いのじゃと申して、悪魔の僕(しもべ)となっておるのじゃ。
これまで世に遣(つか)わした聖人(せいじん)ら、皆々真(まこと)の教え伝えさせてきたが、悪魔の教えは申しておらんぞ。
人民、騙され(だまされ)ておるのじゃぞ。
悪魔の僕(しもべ)らにすり替(か)えられた教え植え付けられて、まんまと操(あやつ)られておいでじゃ。
悪(あく)自由ならんのぞ。
悪多数決からは、悪魔に洗脳(せんのう)された僕(しもべ)ばかり世に出て、偉(えら)そうにいたすぞ。
真(まこと)伝える者現(あらわ)れ出ても、
金(かね)、色(いろ)、名(な)、体(からだ)、人(ひと)、弱み握(にぎ)られ抉(えぐ)られ操られるから、
褌(ふんどし)締(し)め直して皆々手合わせて、賢(かしこ)く物事進めねばならんのじゃ。
世の立て替え立て直しに心勇んでお役に生きる人民、新たな世の臣民(しんみん)となるのじゃぞ。
何もせず観(み)ておる人民、新たな世の臣民観(み)させて頂きながら、一から生き方学ぶのじゃぞ。
悪さいたして来た人民、別の星へとお移(うつ)りになりて、同じ学び何度も学ばせて頂くのじゃぞ。
皆々それぞれに別れて納(おさ)まる所へ納るから、うれしうれしたのしたのしじゃぞ。
混(ま)ぜこぜならんのぞ。
海のものと山のものは一緒(いっしょ)には暮(く)らせんのじゃ。
★靈性相応(れいせいそうおう)の仲間、場所、生き方、学びあるのぞ。それぞれ相応に別れて暮らすのじゃ。
靈性(他愛意識のこと)なので、ここでは靈性の高さ低さ(どこまでのどのくらいの規模で愛せる気持ちや思いやりがあるか)や、
それぞれの魂の性質のことを言っているのではないかと思います。
靈(れい)の世界も同様ぞ。
霊も人も同じじゃと申しておろうがな。
住んでおる世界の次元(じげん)、波動(はどう)、違(ちが)うだけのことぞ。
御魂(みたま)の資質(ししつ)は死んでも生きておっても同じじゃぞ。
皆々うれしうれしたのしたのしかわるかわる、ありがたいありがたい世となる。
日の出の神様、光、浄(きよ)めの力、頂けよ。
良き氣(き)、吸いなされ。
悪(あ)しき氣、吸い取って頂きなされよ。
神々様には、守(まも)り給(たま)え浄(きよ)め給え導(みちびき)き給え、と何度でも申せよ。
大日月地大神(おおひつくおおかみ)、日(ひ)の大神、月(つき)の大神、地(ち)の大神、星(ほし)の大神、水の神、火の神、土の神、雨の神、風の神、巌(いわ)の神、木の神、金(かね)の神、人の神、
ありがたいありがたい、奉(たてまつ)りて下され。
2016年 1月10日 大日月地大神大靈団御靈(おおひつくおおかみおおれいだんおんたま) 伝える。
神人(かみひと)繋(つな)ぐ。