この度(たび)は、御神示(ごしんじ)を通じて皆様(みなさま)とお引き合わせ頂き(いただき)ましたこと、心より感謝(かんしゃ)申し上げます。
これまで長きに渡り(わたり)、人々にお伝えするということがどれほど難しい(むずかしい)ことか、様々な機会を頂く中で学ばせて頂きました。
やはり世の中には色々な方々がおられますので、置かれてある立場や環境(かんきょう)、受け止め方も、皆それぞれ多種多様あると重々承知(しょうち)いたしております。
そのような状況下(じょうきょうか)で、この度このような神示なるものを世間に出版(しゅっぱん)させて頂くということに対する葛藤(かっとう)と、
己(おのれ)は今生(こんじょう)いったい何をしなければならないのか?という自問自答を繰り(くり)返しながら、一つ一つ真摯(しんし)に向き合い、
気持ちを整理整頓(せいりせいとん)いたし、ようやく現在に至って(いたって)おります。
振り(ふり)返りますと、神示が降ろされ始めました当初は、正直申しまして、どこか他人事のようであり、
ふと我(われ)に返るとおのれの言動と行動に対して不安と疑念(ぎねん)が阻み(はばみ)、己自身をよく理解(りかい)出来ておりませんでした。
その後も日夜、異次元(いじげん)世界と現次元(げんじげん)世界との狭間(はざま)で、数え切れぬほどの不可思議(ふかしぎ)な靈験(れいけん)を通じ、
色々な学びをさせて頂きながら、
守護靈(しゅごれい)様・指導靈(しどうれい)様方のお導き(みちびき)によって、私は大きく考え方や生き方が変わっても参りました。
現在では、出来るだけ多くの方々に神示をお読み頂きたいという思いと共に、ご縁(えん)ある方々に対して、
己を通じ伝えられてくる靈存在(れいそんざい)らからの言葉を、誠心誠意(せいしんせいい)お伝えいたして参りたいという決意と使命感を強く握り(にぎり)締めて(しめて)おります。
世間では、シャーマン(靈媒師れいばいし)とはなかなか受け入れがたき存在でございましょうが、数ある職業(しょくぎょう)の中の一つであり、職人の一つであるとご理解頂けましたら幸いに存じます。
さて、私が靈団靈人(れいだんれいじん)らの媒体(ばいたい)となり、神示を降ろし、『大日月地神示』(おおひつくしんじ)を出版するに至りました経緯(けいい)を、簡単(かんたん)ではございますがご説明させて頂きたいと思います。
一方から他方へ伝えるためのなかだちとなるもの。
私は十代後半の頃より、人は何のために生まれ、何のために生きてゆくのか?
そして、人は死んだらどうなるのか?世の中はなぜこのような仕組みになっているのか?
……など、強い疑問(ぎもん)を抱き(いだき)、時折り心の中の神様に対して「どうか真実を教えて下さい」と祈り(いのり)続けておりました。
そのような心境(しんきょう)のまま、1992年を迎えた(むかえた)東京にて、ある日、勝手に身体(からだ)が動くようになり、
ふと気づけば街を彷徨い(さまよい)歩きながら某(ぼう)書店へと吸い(すい)込まれ(こまれ)てゆき、足が止まった先は、あらゆる宗教書(しゅうきょうしょ)が立ち並ぶ(ならぶ)一角でした。
なぜ己(おのれ)がこのような所に来ているのか?己はいったいどうなってしまったのか?何者かに取り憑かれて(つかれて)しまったのか?
と疑念渦巻く(うずまく)中、首は左右に動き目もひとりでに何かを探し(さがし)始めました。
そして、なぜかとても興味(きょうみ)を抱か(いだか)されるような心情(しんじょう)になりながら手にした書籍(しょせき)がございました。
それが『ひふみ神示』「岡本天明(おかもとてんめい)・筆(ふで)」でした。
宗教書を読むのは、それが生まれて初めてであったということもあるのでしょうが、訳(わけ)が分からぬまま書を開きページをめくるごとに、
なぜか嬉しく(うれしく)なったことを今でも記憶(きおく)いたしております。
それから毎日のように神示を読まされるようにして、拝読(はいどく)の習慣(しゅうかん)がついて参りました。
そして長年に渡って何者かに導かれるかのように、全国各地の神社をただただ漠然(ばくぜん)と世界平和を祈願(きがん)し、参拝(さんぱい)いたしながら巡るようになってゆきました。
振り返りますれば、すべては守護靈・指導靈様方のお計らい(はからい)であったということが、現在では理解が出来ております。
そして1998年、和歌山にご縁を頂き移住(いじゅう)いたしたある日、姿(すがた)の無い何者か分からないはっきりとした声だけが聞こえ始め、
何も分からぬままに恐る(おそる)恐る対話が始まってゆきました。
暫く(しばらく)すると音声(おんせい)だけではなく映像(えいぞう)まで浮かんで(うかんで)見えるようになり、
まるで頭の中に3Dテレビが内蔵(ないぞう)されたかのような状態(じょうたい)となり、現次元世界と重なって別の視覚聴覚(しかくちょうかく)が同居(どうきょ)するようになってゆきました。
私は心身の異常(いじょう)による幻聴幻覚(げんちょうげんかく)であろうという恐怖(きょうふ)と不安、己に対する疑念だけが日々(ひび)続く中、
言い尽(つ)くせないほどのあらゆる不思議な靈験を日夜させて頂きながら月日は流れてゆきました。
己を罵倒(ばとう)するような邪(じゃ)なる者も現れ(あらわれ)れば、涙(なみだ)が出るほどありがたくなるような者も現れ、
たくさんの存在と関わって参りましたが、後(のち)にそれらの現象(げんしょう)が心身の病による幻聴幻覚ではなく、
異次元存在や他星(たせい)の存在との交流がなされ始めたのであることを、守護靈・指導靈様方の教えを通じて理解出来るようになると共に、
異次元存在たちとの信頼(しんらい)関係も築かれ(きずかれ)て参りました。
そして、靈意識(れいいしき)の覚醒(かくせい)と共に靈媒体質(れいばいたいしつ)というものを受け入れて生きてゆくという強い覚悟(かくご)の上で、
方向性や指針(ししん)となるものを考え始めた時、指導靈にお教え頂いたキーワードが、「ボランティア」「菜食」「祈り」という言葉でありました。
また後(のち)に「伝える」というキーワードも頂き、自分の生き方をさらに模索(もさく)してゆきました。
そして次々と導かれながら、現次元と異次元の双方(そうほう)より必要な出会いを頂くと共に、
指導靈より与え(あたえ)られたキーワードがまるで小説の伏線(ふくせん)であったかのように不思議と繋がり(つながり)始め、己(おのれ)の価値観(かちかん)・人生観が一変(いっぺん)いたしてゆきました。
私が靈媒(れいばい)として覚醒いたし、シャーマンとして生きるようになるまで、または、なってからの経緯詳細(けいいしょうさい)に関しまして、
ここでは話しきれませんので、また別の著書(ちょしょ)にてお伝えさせて頂きたいと存じます。
ご興味(きょうみ)あります方はお読み頂けましたら幸いです。
さてそれから時は流れて、2006年6月6日(みろく)、パソコンを始めて間もない頃、ブログを書こうとPCを立ち上げた時、
いつもとは違って(ちがって)研ぎ澄まされた強い氣に突き(つき)動かされるかのように、
非常(ひじょう)に早い流れで言語や数字、あらゆる記号・図形が脳裏(のうり)に浮かび上がり、
自分では脈絡(みゃくらく)の分からない言葉が連なり始め、両手はひとりでに動きながら、次々とキーボードを弾いて(はじいて)ゆきました。
最初に書かれた、「あ」の巻(まき)の締め(しめ)括り(くくり)に、天の日月の神(あめのひつきのかみ)と記され(しるされ)た時、私は非常に困惑(こんわく)したことを思い出します。
果たして、このままブログにて公開して良いものなのかどうか?
何度も信頼できる守護靈・指導靈様方に伺い(うかがい)、間違い(まちがい)ないと穏やか(おだやか)に諭され(さとされ)、その言葉を信用いたし、その後もブログにて公開してゆくこととなりました。
神示を継続(けいぞく)する動機の一つには、それまで一度も感じたことのない爽快感(そうかいかん)と宇宙(うちゅう)を漂う(ただよう)ような浮遊感(ふゆうかん)にも似た(にた)、表現しがたい快楽(かいらく)の中でなされる自動書記への不思議な魅力(みりょく)もまたありました。
しかしながら、こうして自分を通じて降ろされるには、いったいどのような意味が在る(ある)のか?本物なのか?偽物(にせもの)なのか?なぜ自分に降ろされているのか?
毎回、自動書記が終わる度、そういった不安と疑念にも苛まれ(さいなまれ)、改めて人に伝えるということに対する勇気が問われ続けました。
ですから、疑念と恐怖から何度か自動書記を拒絶したこともありました。
そして激しく(はげしく)拒絶した際(さい)に、指導靈たちやかつて『ひふみ神示』を降ろされた岡本天明氏の御魂(みたま)が現れ、「これからの世の中に必要な教えとなる書を降ろして貰って(もらって)いるから理解してほしい」とお願いされたのでした。
それまでは、何者か分からない存在の言葉を伝えることに対する不安が、自動書記に対して抵抗(ていこう)する一番の理由でしたので、
説明を受け納得(なっとく)したことで私は安心し、神示を降ろすという役目を最後まで果たす約束を靈団と交わした(かわした)のでした。
それから、かつて私が指導靈より伏線(ふくせん)として頂いていた「伝える」という言葉を改めて思い出した時、深く感銘(かんめい)いたしました。
非現実的な日常の中で幾度(いくど)となく葛藤(かっとう)を繰り(くり)返しながらも自動書記を続けて来ましたのは、おそらく靈団靈人らとのたくさんの交流の中で信頼関係が育まれて(はぐくまれて)いったことにより、
あらゆる不安と恐れが払拭(ふっしょく)され、与えられた役目に対する使命感と指導靈たちとの一体感が、確かな喜びとして感じられるようになっていったからでありましょう。
『大日月地神示(おおひつくしんじ)』は、指導靈団の教えによりますと、かつて岡本天明氏が自動書記にて降ろされた文章を、矢野シン女史が解読(かいどく)なさり世に伝えられた『日月神示(ひつきしんじ、別名・ひふみ神示)』の続きであり、間違って伝えられていたことや伝えきれなかったことに対して補足(ほそく)する内容も含まれているようで、現代版の神示とのことです。
2006年6月6日、「あ」の巻から始まった神示は、インターネット上のブログでは「天の日月の神(あめのひつきのかみ)」というタイトルで出させて頂いておりました。
その後、2007年6月14日、「よ」の巻まで出され、「書といたすように」という神示の一節に従い(したがい)、戸惑い(とまどい)もございましたが、
ブログをご覧(らん)頂いておりました方々より制作資金援助(せいさくしきんえんじょ)をして頂きながら、2007年7月7日付けで「日月地神示(ひつきちしんじ)」として、自主制作にて出版させて頂きました。
この時の「日月地神示」というタイトル名での出版に関しましては、当初意味が良く分かりませんでしたが、「ひとまずは、この名で良い」と指導靈に言われたことを覚えております。
その後、「ら」「り」「る」「れ」「ろ」「わ」の巻と神示が降ろされまして、2012年再販(さいはん)の際にお伺い(おうかがい)を立て、初版(しょはん)の内容に付け加えさせて頂いた次第(しだい)でございます。
それ以降(いこう)の神示に関しましては、いつ降ろされるものなのか分からない状況でありましたが、
数年が過ぎ忘れかけた頃、2014年10月22日より再び不定期ながら神示は降ろされ続け、2016年8月25日に出た段階で、また指導靈に書として公(おおやけ)にするようにと言われ、
今度は「大日月地神示(おおひつくしんじ)」というタイトルにするようにとお教え頂き、2016年10月、野草社から出版させて頂きました。
その後も神示は降ろされ続けまして、2017年12月27日、「この神示、世界中の民(たみ)に読ませて下され。すべての者救う書となりますぞ。神、お頼み(たのみ)いたしますぞ。大日月地大神御靈(おおひつくおおかみおんたま)」と神示は締め括られ(しめくくられ)ました。
「大日月地神示(おおひつくしんじ)」は、どうやらこれで終了とのことです。
これ以降も降りることはないということでした。
そして、インターネットのsnsを通して公開してきました内容のものと未公開の内容のものとを併せて(あわせて)、『大日月地神示』前巻(ぜんかん)、後巻(こうかん)として、二冊に分けて書といたすようにとのご指導を頂きました。
また、2016年の神示編集(へんしゅう)にあたりましては、改めて指導靈団(しどうれいだん)にお伺い(うかがい)いたしながら、すべての神示内容に対する編集作業を共にいたして頂き、
誤字(ごじ)や漢字や句読点(くとうてん)、改行箇所(かしょ)等(など)の変更(へんこう)、またはより相応しい(ふさわしい)言葉・表現等も一つ一つ伺い確認いたしながら修正(しゅうせい)させて頂きましたが、
第二刷発行の際も今回も、いくつかの疑問点を改めて指導靈団にお伺いいたし、確認のうえ修正させて頂きました。
お陰(かげ)様で、だいぶ読みやすくなっているかと思います。
この神示は、読まれてゆく中で、色々な矛盾(むじゅん)を感じられる箇所(かしょ)もあるかと思いますが、
神示は人それぞれ八通り(やとおり:人それぞれ四方八方)に読める書であり、必ず何らかの意図する教えや仕組み・目的が隠されて(かくされて)もおります。
また、読まれる時期によって受け取り方が一変するといった、不思議な書でもございます。
まずは順に最初から最後まで読んで頂き、次に読みたい所だけ読む、または後巻(こうかん)を先に読み前巻(ぜんかん)を後で読む、または無作為(むさくい)に開いた所を読むといった読まれ方もなさって頂ければ幸いです。
おそらくその都度(つど)ご自身に必要な内容が書かれてある箇所(かしょ)を読まされることと察し(さっし)ます。
なお神示には、靈人様方にもお聞き頂けるよう声を出して読みなさいという教えがございます。
言靈(ことたま)・音靈(おとたま)に変えて何度でも読まれてみて下さい。
何度も何度も同じ内容、同じ言葉が顕れて(あらわれて)も来ますが、知らず知らずのうちに社会より植え付けられてきたマインドコントロールや洗脳(せんのう)を解く(とく)目的も隠されて(かくされて)おります。
また、神示の至る所に、靈団と繋がるための祝詞(のりと)同様の浄靈浄化(じょうれいじょうか)・導靈(どうれい)・除靈(じょれい)・病治し(やまいなおし)効果を持っている文面が散りばめられてもおり、
読まれる人ばかりではなく、聞く側にも、己(おのれ)の周りに関わっておられます靈存在にとりましても必要な教えとなったり、神氣(しんき)が与えられどんどん変化いたしても参ります。
おそらく素直(すなお)に読まれた方だけが体験するであろう不思議な靈験もあるかと思われます。
自動書記による神示というものは、世間の皆様に取りましてはやはり疑念の対象であったり、受け入れがたい驚く(おどろく)べき内容であったり、また滑稽(こっけい)に感じたり、良く意味が分からなかったり、当然、人それぞれでございましょう。
しかし、神とは?靈とは?人とは?生とは?死とは?己は何者であり何のために在る(ある)のか?という、生きる上でとても大切なことを理解している人は、世間では非常に少ないのが現状(げんじょう)であるかと思います。
それは私たちが大切なことを教育されずに生きてきたからです。
「あなたはなぜ存在しているのか?」その必要な教えが、「大日月地神示(おおひつくしんじ)」の随所(ずいしょ)に散りばめられております。
ぜひこの神示を熟読(じゅくどく)され、多くのことを悟って(さとって)頂けましたら幸いに存じます。
神人(かみひと)は果たして本物なのか?偽物(にせもの)なのか?
大日月地神示(おおひつくしんじ)はフィクションなのか?ノンフィクションなのか?
本来どのような目的を持つ書であるのか?
すべてはお読み頂きました皆々様方お一人お一人の、良識(りょうしき)あるご判断(はんだん)に委ね(ゆだね)たいと思います。
偏らず適切・健全な考え方。
そういう態度の見識。
物事の健全(偏らず調和がとれていること)な考え方。健全な判断力。
但し(ただし)、一つだけ心の片隅(かたすみ)に置いて頂きたいことがございます。
この神示は、鏡(かがみ)の如く(ごとく)御魂相応(みたまそうおう)に心をすべて映し(うつし)表に顕れ(あらわれ)始めて参ります。
神示を通じご縁を頂きました皆々様方のご多幸を心よりお祈り(いのり)申し上げます。
神人 拝 (かみひと はい)
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